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名古屋高等裁判所 昭和31年(ネ)246号 判決

控訴人 成瀬嘉征

被控訴人 破産者 成瀬正一 破産管財人 田中喜一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、第二審共被控訴人の負担とする」旨の判決を求め、被控訴人は、主文第一項と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、左記に附加するところの外、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

被控訴人は、次のように述べた。

訴外株式会社揖斐川木工製作所(以下、単に揖斐川木工という)は、訴外成瀬正一が昭和二十四年九月八日本件家屋を控訴人に贈与した当事、訴外株式会社十六銀行(以下、単に十六銀行という)に対し手形借入金三百三十五万円、株式会社大垣共立銀行(以下、単に共立銀行という)に対し借入金五十万円、岐阜県民生部保険課に対し健康保険料等の延滞金六万四千百五十二円、大垣税務署に対し諸税滞納金三十万円余、その他機械類材料等の買入未払金二百万円合計六百二十一万四千百五十二円余の債務を負担していた。

訴外十六銀行は、昭和二十四年九月二十四日揖斐川木工に対し、手形貸付金二百三十五万円の債権保全のため、同会社所有動産について仮差押をなしたのであるが、その一部は、健康保険料等の滞納処分により公売せられたので、十六銀行は、右仮差押の有体動産に対する執行の結果、金二十九万千七百二十六円の弁済を受けえたに過ぎなかつた。

控訴人の後記主張事実中、成瀬正一が控訴人主張のように妻成瀬てるゑと離婚したこと、及び成瀬正一が本件家屋贈与当時、別紙目録(一)掲記のような建物を所有していたことは、これを認めるが、その余の被控訴人の主張に反する事実は、すべてこれを否認する。被控訴人の主張事実たる、本件家屋がもと成瀬正一の所有に属し、同人が昭和二十四年九月八日これを控訴人に贈与したものであることは、控訴人が原審においてこれを自白したところである。

成瀬てるゑは、成瀬正一と離婚後、実家の訴外成瀬嘉吉方において控訴人と共に生活していたのであり、そして、同人方は、生活に困窮するような家庭ではなかつたのであるから、てるゑは、わざわざ遠隔の大垣市内を選んで、家屋を建築する必要はなかつたのであり、これを建築するとすれば、実家に近い場所を求めたであろうと思われるのである。のみならず、本件家屋は、建築以来現在に至る迄引続き、成瀬正一とその家族がこれに居住しているのであつて、これらのことは、本件家屋が成瀬てるゑの所有でなかつたことを物語るものであろう。又、成瀬正一は、十六銀行に対する約束手形金の支払ができなかつた一、二日前を選んで、本件家屋を控訴人に贈与せねばならない格別の理由も、必要もなかつたのであるから、右贈与の動機が奈辺に存したかは、これを窺知するに充分である。

仮に、控訴人主張のように、揖斐川木工が当時十六銀行に対する債務の支払に充てうる資産を有しており、成瀬正一がその取締役社長であつたとしても、会社財産は、直ちに成瀬正一の債務の引当にはならないのであるから、会社財産が存することをもつて、同人が詐害の意思を有しなかつたとする理由にはならない。まして、揖斐川木工の営業状態は、当時全く振るわず、次に述べるように、その資産として見るべきものは、殆んどなかつたのである。

即ち、十六銀行は、従来揖斐川木工に対し、多額の融資をなして来たのであるが、昭和二十四年七月頃から同会社の経営状態が順調でなく、事業税、健康保険料等約三十万円も納付さえできず、当局より滞納処分の通告を受けていたような状況にあり、又、新たに購入したサンダル製造機等の代金約二百万円も未払のままであつたので同会社に対し増担保を要求すると共に、経営の堅実化を企るように勧告していたのであり、そして、成瀬正一は、当時十六銀行に対し本件家屋を担保として提供することを承諾していたものである。されば、十六銀行は、揖斐川木工に対し新規の融資を差控えていた矢先、本件家屋の贈与登記がなされたことを知り、急遽同会社に対し動産の仮差押をなしたのであるが、右動産は、前述のように、一部健康保険料等の滞納処分により公売せられたので、これより僅かに三十三万円の売得金を挙げえたに過ぎず、十六銀行に対する債務の支払には、殆んど充てうべくもなかつたのである。従つて、右有体動産仮差押に際し、執行吏がなした仮差押動産の評価は、過大であつて、全く適正を欠いていたというの外ない。

次に、成瀬正一は、本件家屋を除いては、別紙目録(一)に掲記の建物以外に、目ぼしい財産を有しなかつたのであるが、同目録記載(1) 及び(2) の建物は、昭和十九年七月既に共立銀行に対する金五万円の債務のために、抵当権が設定せられているところであり、昭和二十五年十二月当時における評価によつても、合計四万五千五百円の価格を有したに過ぎないし、同目録記載(3) 及び(4) の建物は、成瀬正一が昭和二十四年十月四日急遽共立銀行に対し、金百二十万円の債務の担保にこれを供しているのであり、前記(1) 及び(2) の建物の評価当時において、合計二十二万三千四百円の評価格を有していたに止まるのである。そして、右建物は、いずれも交通の便が悪い片田舎に存在しているばかりでなく、余り堅固な建物ではないのであるから低廉な価値しか有しえないものである。しかるに、成瀬正一は、本件家屋の贈与当時、十六銀行に対し三百三十五万円、共立銀行に対し五十万円の債務を負担していたのであるから、右目録記載の建物並びに本件建物をもつてしても、到底右債務を完済することはできなかつたのであつて、本件家屋の贈与は、同人がこれに対する執行を免れようとしたものであることが明らかである。因みに、右目録に掲記の建物は、いずれも、成瀬正一の破産申立後破産宣告の少し前に、同人が窃かにこれを訴外清水善太郎、同今村俊吉等に売却処分し、その代金を債権者に弁済せずして、債権者の追求を免れているのである。

なお、成瀬正一は、十六銀行より融資を受ける望が絶えたと見るや、直ちに、共立銀行がその競争的立場にあることを利用して、同銀行から資金の融通を仰ぎ、十六銀行より揖斐川木工に対する執行を妨害し、同銀行をして前記仮差押物件より弁済を受けえられないように、悪辣な手段に出たのである。更にいえば、同人は、昭和二十八年一月九日頃名古屋市において、他人を欺罔して不動産の登記書類を騙取し、昭和三十年九月二十九日名古屋地方裁判所において有罪の判決を受けた者なのである。

控訴代理人は、次のように述べた。

本件家屋は、建築の当初より控訴人の母成瀬てるゑの所有であつたものであり、控訴人の父成瀬正一は、単に登記簿上その所有名義人であつたに止まり、真実の所有者ではなかつたのであるから、成瀬正一が本件家屋を控訴人に贈与したものではない。即ち、成瀬正一は、昭和二十一年八月十日妻てるゑと離婚し、てるゑが控訴人を引取つて養育することとなつたので、てるゑに金五十万円を贈与することを約したが、その後右契約を変更し、これに資金を与えて本件家屋を建築せしめたのである。そして、本件家屋は、同年十月中に建築に着工して、昭和二十三年五月に完成したので、本来成瀬てるゑ名義にこれが保存登記をなすべきであつたところ、てるゑが当時無職であつたため、その名義で建築許可がえられず、やむなく成瀬正一名義でその許可を受けたので、昭和二十四年一月中に正一名義に保存登記をなしたのである。ところで、成瀬てるゑは、同年九月八日本件家屋を長男の控訴人に贈与したのであるが、登記簿上は成瀬正一が所有名義人となつていたから、同人より控訴人に贈与したこととして、同日附で控訴人にその所有権移転登記手続をなしたのである。従つて、成瀬正一が詐害の意思をもつて、本件家屋を控訴人に贈与したものであるとする被控訴人の主張は、失当というべきである。

仮に、成瀬正一が本件家屋を控訴人に贈与したものであるとしても、主債務者揖斐川木工又び連帯保証人成瀬正一は、右贈与の当時他に多額の資産を有していたのであるから、同人には詐害の意思など全く存しなかつたのである。

即ち、揖斐川木工は、成瀬正一が取締役社長の地位にあるいわゆる同族会社であつて、事実上は、同人の個人企業に等しいものであるから、債権者十六銀行は、当事揖斐川木工と成瀬正一の両者の資産を一般担保として、これより弁済を受ける意思であつたのであり成瀬正一もまた、右両者の資産より債務を弁済する意思であつたのである。従つて、主債務者揖斐川木工の資力、又は、これに保証人成瀬正一のそれを併せた資力が、当時十六銀行に対する債務を弁済するに充分な程に存した以上、成瀬正一がその所有に属する財産の僅少部分たる本件家屋を処分したとしても、債権者を害することにはならないから、同人は、詐害の意思を有しなかつたものというべきである。そして、揖斐川木工と成瀬正一の両者は、当時以下に述べるように、十六銀行に対する債務額三百三十五万円を優に超過する資産を有していたのである。

揖斐川木工は、当時一千万円以上に相当する資産を保有していた。十六銀行は、昭和二十四年九月二十四日揖斐川木工に対し、手形貸付金二百三十五万円の債権保全のため、同会社所有動産の一部について仮差押をなしたのであるが、時価の三分の一にも足らない見積価格でもつて、優に右債権額を充足したのである。右執行吏の見積価格は、時価より著しく低廉であつて、客観的価格でないことは公知の事実である。特に、工場に備付使用中の機械器具は、工場に備付けられていてよくその価格を保有するものであり、これを取外しては、スクラツプとしての価値しか有しないものが多いから、その取外しの価格を標準とすべきではなく、そのときにある状態においてこれを評価すべきものである。そして、揖斐川木工は、当時営業を継続しており、その工場も運転中であつたのである。因みに、右仮差押の機械器具中、公売に付せられた一部(半数以下)を買受けた第三者が、これをもつて、共立銀行より六十二万円の担保価値を認められて、金五十万円の融資を受けているのである。そこで、右仮差押動産を時価により適正に評価すれば、機械器具は二百四十万円以上、製品の下駄類は七百三十九万三千四百円の価格を有するものであり、その総価格は最低九百七十九万余円であつたというべきであるから、揖斐川木工は、当時少くとも約一千万円の資産を有していたのである。

次に、成瀬正一は、当時本件家屋の外に、時価合計三百万円にも達する別紙目録(一)に掲記のような建物(建坪総数三百六十坪余)、並びに時価合計八十万三千七十円(控訴人の主張する七十六万七千七十円は、違算と認める)に及ぶ別紙目録(三)に掲記の工具類を所有しており、総額三百八十万余円の資産を保有していたのである。そして、成瀬正一は、現に右建物につき、共立銀行より三百万円の担保価値を認められて、同銀行のために右金額の抵当権を設定しているのであり、又、右工具類を担保に提供して、昭和二十五年五月同銀行より金五十万円の融資を受けたのである。

揖斐川木工は、当時その経営状態が危機に瀕していたわけではなく、昭和二十一年以来十六銀行より、常に二、三百万円の融資を受けて来たのであり、昭和二十四年四月には五百万円の手形割引の枠を与えられ、本件債務たる合計金三百三十五万円の手形貸付を受けたのである。しかるに、同銀行は、僅かな感情の行違いから、揖斐川木工に対し、同年九月突如として、取引停止の強硬手段に訴えるに至つたものである。しかし、揖斐川木工は、特別に営業状態が悪化していたわけではなかつたので、その後直ちに共立銀行と取引を開始し、同銀行より融資を受けることができたのである。

右に述べたように、揖斐川木工及び成瀬正一は、多額の資産を有していたので、本訴は、同年九月提起せられたにもかかわらず、その後全然訴訟手続が進行せられないで、昭和二十九年十二月成瀬正一が破産の宣告を受けるに至つて、漸く進行されるという状況であつたのである。

更に、本件家屋の控訴人に対する所有権移転登記が、成瀬正一と妻てるゑの離婚後数年を経てからなされたのは、前述の事情に基くものであるが、本件家屋が完成したのは昭和二十三年五月であり、昭和二十四年一月これが保存登記がなされ、その後僅か数ケ月を経た同年九月八日に、控訴人に対するその移転登記がなされたのであるから、さして遅れているとも思われず、このことをもつて、直ちに、成瀬正一が債権者を害することを知つて、本件家屋を控訴人に贈与したものとすることはできない。

なお、被控訴人主張事実中、成瀬正一が昭和二十九年十二月二十四日岐阜地方裁判所大垣支部において、破産の宣産を受けたこと、揖斐川木工が昭和二十四年九月八日成瀬正一の控訴人に対する本件家屋贈与当時、被控訴人主張のように、健康保険料等六万四千百五十二円並びに諸税三十万円余を滞納していたことは、これを認める。

当事者双方の証拠は、次のとおりである。

被控訴人は、甲第一号証乃至第七号証並びに第八号証の一、二を提出し、原審における証人長屋金之輔、同杉本しづ、並びに当審における証人青木重太郎及び同坂本精郎の各証言を援用し、乙号証につき、第一号証、第二号証、第三号証の一乃至四、第五号証、第六号証中裁判所の証明部分、第七号証、第八号証、第九号証の一乃至七第十一号証の一乃至三並びに第十二号証の各成立を認め、第四号証第六号証中前記裁判所の証明部分を除くその余の部分及び第十号証の各成立は、不知と述べ、第三号証の一乃至四を被控訴人の利益に援用した。

控訴代理人は、乙第一号証、第二号証、第三号証の一乃至四、第四号証乃至第八号証、第九号証の一乃至七、第十号証、第十一号証の一乃至三並びに第十二号証を提出し、当審における証人成瀬正一(第一、二回)及び同所恒司の各証言を援用し、甲号証につき、その各成立を認めた。

理由

先ず、本件訴訟の経過につき見てみるのに、本訴は、当初、訴外十六銀行が訴外成瀬正一及び控訴人の両名を被告として、成瀬正一が昭和二十四年九月八日本件家屋(大垣市藤江町二丁目百十八番、家屋番号第七十一番、木造瓦葺二階建工場、建坪三十六坪、二階坪三十六坪、附属木造瓦葺平屋建炊事場、建坪三坪)を控訴人に贈与したとなし、これを詐害行為として、右贈与行為の取消及び贈与による所有権移転登記の抹消登記手続を求めて、提起せられたのであるが、その訴訟係属中に、昭和二十九年十二月二十四日成瀬正一が破産の宣告を受けるに至つたので、ここに本件訴訟手続が中断し、破産者成瀬正一の破産管財人たる被控訴人において、昭和三十年三月二日破産法第八十六条、第六十九条により、本訴の受継を申立ててこれを承継し、同法第七十二条による否認権の訴として、これを維持するものであることは、記載に徴して明らかなところである。

そこで、本訴請求の当否について考察するに、訴外揖斐川木工が昭和二十四年四月一日十六銀行との間に、成瀬正一外一名の連帯保証の下に、支払期日に手形金の支払を怠つたときは、同銀行は契約を解約し、同時に期限未到来の手形金についても、当然履行期が到来したものとする旨特約の上、極度額五百万円の手形取引契約を締結したこと、そして、同会社が右契約に基き、十六銀行に宛てて、(一)同年八月十三日金額二百三十五万円、支払期日同年九月十日、振出地岐阜県揖斐郡大和村、支払地同郡揖斐町、支払場所十六銀行揖斐支店、(二)同年八月二十三日金額五十万円、支払期日同年九月二十一日、支払地、支払場所及び振出地いずれも(一)と同一、(三)同年九月十二日金額五十万円、支払期日同年十月十一日、支払地、支払場所及び振出地いずれも(一)と同様なる約束手形各一通を振出し、同銀行より右の各手形金額に相当する金員(合計三百三十五万円)をそれぞれ借受けたこと、しかるに、同会社は、右(一)の手形の支払期日に手形金の支払ができなかつたため、同銀行は、その頃右特約に基いて前記手形取引契約を解約し、同時に期限未到来の(二)及び(三)の各手形金についても、履行期が到来するに至つたこと、成瀬正一所有名義の本件家屋につき、岐阜地方法務局大垣支局同年九月八日受付第一、九二〇号をもつて、贈与を登記原因として、控訴人に所有権移転登記がなされていること、控訴人は、成瀬正一の長男であつて、右移転登記の当時未成年(昭和十三年三月十一日生)であつたこと、成瀬正一が昭和二十九年十二月二十四日岐阜地方裁判所大垣支部において、破産の宣告を受けたこと、以上の事実は、当事者間に争が存しない。

ところで、控訴人は、原審昭和二十九年十二月五日の口頭弁論期日において、本訴訟手続受継前の原告十六銀行が主張した請求原因事実中、揖斐川木工が成瀬正一の本件家屋贈与当時、支払不能の状態にあつたとの点、及び同人が右贈与を債権者を害することを知つてなしたとの点を除き、その余の事実を認める旨答弁したこと明らかであるから、被控訴人の主張事実たる、本件家屋がもと成瀬正一の所有に属したものであつて、同人が昭和二十四年九月八日これを控訴人に贈与したものであるとの点は、控訴人においてこれを自白したものとしなければならない。しかるに、控訴人は、当審昭和三十二年五月十日の口頭弁論期日において、本件家屋は、成瀬正一が妻てるゑと離婚した際、てるゑが控訴人を引取つて養育することとなつたので、これに資金を与えて建築せしめたものであつて、当初からてるゑの所有であつたものであり、成瀬正一は、単に登記簿上の所有名義人たるに止まり、同人がこれを控訴人に贈与したものではない旨主張し、前記自白をひるがえすに至つたので、この点につき判断するに、成瀬正一が昭和二十一年八月十日妻のてるゑと離婚したことは、当事者間に争がなく、原審証人杉本しづ及び当審証人成瀬正一(第一回)は、右主張に添うような供述をなしているが、右各証人の供述(一部)並びに原審証人長屋金之輔の証言によれば、本件家屋は、昭和二十三年春に建築されたのであるが、以来揖斐川木工の製造する下駄類の大垣市における販売店舗として使用せられ昭和二十五年頃よりは、成瀬正一の姉訴外杉本しづがこれに居住して、同様下駄類の販売をなしていること、しかも、本件家屋は、当初工場として成瀬正一の所有名義に保存登記がなされたまま、同人が妻てるゑと離婚して別居後数年を経過しても、なおてるゑに対し所有権移転登記がなされた形跡がなく、前述(一)の約束手形の支払期日の直前たる昭和二十四年九月八日に、突如として控訴人に対し移転登記がなされたこと、加うるに、成瀬正一は、それに先立ち同年七月十一日頃十六銀行の要求により、本件家屋を担保として同銀行に提供することを承諾していたことを認めることができ、叙上認定の事実並びに本件弁論の全趣旨に照して、前記証人杉本しづ及び同成瀬正一の各供述部分は、これをたやすく信用できないところでありその他、控訴人の前記主張事実を肯認するに足る証拠がない。そうとすれば、本件家屋がもと成瀬正一の所有に属したものであつて、同人が同年九月八日これを控訴人に贈与したものであるとの点についての控訴人の前記自白は、それが真実に反するものであることの証明がないことに帰するから、これを撤回しえないものというべく従つて、右の点についても、当事者に争がないものとしなければならない。

そこで、進んで、成瀬正一が本件家屋を控訴人に贈与するに当り債権者を害することを知つて、右行為に出でたものであるかどうかにつき、以下考察する。成立に争のない甲第一号証乃至第三号証、第五号証、第八号証の一、二、乙第二号証、第三号証の一乃至四、第八号証、第九号証の一乃至七、並びに原審証人長屋金之輔及び当審証人成瀬正一(第一、二回)の各供述によると、次のような事実を認めることができる。

即ち揖斐川木工は、資本金十五万円の株式会社であつたが、昭和二十三年七月頃その経営が困難となり、資産内容も悪化していた。しかし、これを秘匿して、十六銀行その他より資金の融通を受け、どうにか営業を続けるという状態であつた。そして、成瀬正一は、右揖斐川木工の取締役社長の地位にあり、同会社の右のような経営状況を知悉していたのであるが、同人は、昭和二十四年九月八日本件家屋贈与の当時、十六銀行に対し前述の三百三十五万円の連帯保証債務を負担していたのみでなく、訴外共立銀行に対しても、二百二十万円位の保証債務を負担していた。しかるに、成瀬正一は、当時その所有に属する資産としては、本件家屋を除いて、別紙目録(一)及び(二)に掲記の土地建物を有するのみであつて、その価格は、総計六十万五千八百八十円(土地六万三千八百八十円、建物五十四万二千円)に過ぎず、十六銀行に対する債務額の五分の一にも達しなかつた。しかも、同人は、同年十月右不動産(建物の全部と土地の一部)に、揖斐川木工の共立銀行に対する借入金債務につき抵当権を設定した。ところで、十六銀行は、同年九月上述の手形貸付金の請求訴訟を提起し、これが勝訴判決をえて強制執行に及んだが、これより先、同年九月二十四日揖斐川木工に対してなした動産の仮差押処分もその効なく、同会社が多額の法人税、事業税並びに健康保険料等を滞納していたため、同会社よりは殆んど右貸付金を回収することができず、(尤も、その後、昭和二十七年九月十六日に金五万八千五百九十六円、昭和二十八年二月十日に金二十六万三千百三十円の弁済を受けた)、成瀬正一に対する執行により、僅かに金一万七千円の弁済を受けたに過ぎなかつた。そこで、同銀行は、昭和二十五年五月二十六日成瀬正一の破産を申立て、前述のように、同人は、昭和二十九年十二月二十四日破産の宣告を受けるに至つたものである。以上の事実を認めることができる。

控訴人は、成瀬正一所有の別紙目録(一)掲記の建物は、本件贈与の当時三百万円の価格を有したものであると主張するが、成瀬正一が昭和二十九年頃右建物を焼失建物(見積価格三十万円)を除いて合計百七十万円で他に売印し、又その頃別紙目録(二)掲記(1) の山林を代金八万円で売却した旨の証人成瀬正一の供述部分は、前掲甲第三号証及び第五号証に照して、にわかに信用できないばかりでなく、右売却したというのは、本件家屋贈与当時より五年も後たる昭和二十九年であるというのであるから、その供述するような価格でもつて売却したとしても、それをもつて直ちに本件贈与当時の価格を認定する資料とはなしえない。尤も、前掲乙第三号証の一乃至四によれば、昭和二十四年十月四日右の建物につき、共立銀行のため合計二百六十万円の債権担保の根抵当権設定登記がなされていることを認めうるのであるが、揖斐川木工が右抵当権設定登記以前の同年九月当時において、既に同銀行に対し二百二十万円の借入金債務を負担していたことは、前段認定のところより、これを窺うに難くなく、同会社が右抵当権の設定により、同銀行より新規に二百六十万円の金員を借入れたものであることは、少しも窺われないのであるから右のような登記の存することをもつて、直ちに、右建物が同銀行により控訴人主張のような担保価値を有することを認められたものとすることはできない。従つて、右に挙げた各証拠をもつて、前記土地建物の価格を上述のように認定する妨げとならず、その他、前段の認定に反する証人成瀬正一の供述部分は、これを措信しない。

なお、控訴人は、右不動産の外に、本件贈与当時価格合計八十万三千七十円に及ぶ別紙目録(三)に掲記の工具類を所有していた旨主張し、当審証人所恒司及び同成瀬正一(第二回)の各供述によれば、当時揖斐川木工の工場内に右工具類があつたことは、これを肯認しうるところであるが、右工具類が同会社の所有ではなく、成瀬正一の所有に属するものであつたことは、この点に関する右証人成瀬正一の供述部分は、たやすく信用できないので、これを確認するに足る証拠がない。又、仮に、右の工具類が右証人の供述するように、成瀬正一の所有であつて、それが当時八十万三千七十円の価格を有するものであつたとしても、同人の資産は、前段認定の不動産と併せて、総額百四十万八千九百五十円となるに過ぎず、十六銀行に対する債務額になお程遠く、その半額にも満たないのであるから、同人が右債務弁済の資力を有しなかつたことには、全く変りがないといわねばならない。

上記認定の事実に、先に認定した成瀬正一が昭和二十四年七月十一日頃十六銀行の要求により、本件家屋を担保として、同銀行に提供することを承諾していた事実、並びに当事者間に争のない本件家屋の贈与及びその所有権移転登記が前記(一)の約束手形の支払期日の前々日たる同年九月八日に、格別の理由もなく突如としてなされていること、しかも、右贈与の相手方が成瀬正一の長男で、当時未成年(昭和十三年三月十一日生)であつた控訴人である点を併せ考えれば、成瀬正一は、本件贈与の当時、債権者たる十六銀行を害することを知りながら、本件家屋を控訴人に贈与する意思表示をなしたものと認定するのが相当である。

なお、控訴人は、揖斐川木工及び成瀬正一は、正一の本件家屋贈与の当時、他に多額の資産を有していたのであり、主債務者揖斐川木工の資力、又は、これに連帯保証人成瀬正一のそれを併せた資力が、当時十六銀行に対する債務を弁済するに充分な程に存した以上成瀬正一がその所有に属する資産の僅少部分たる本件家屋を処分したとしても、債権者を害することにはならないから、同人は、本件贈与当時詐害の意思を有しなかつたものというべきである旨主張するので、この点につき判断を加えれば、およそ、保証人は、主債務者とは別個に、債権者に対し主債務者と同一内容の債務を負担するものであつて、しかも連帯保証人は、通常の保証人と異なり、主債務に対し第二次的な関係において、弁済の義務を負うものではない唯、主債務の成立を前提として義務を負い、又主債務の範囲以上の義務を負担しない意味において、主債務に対し附従的な性質を有するに過ぎないのである。従つて、連帯保証人の行為自体が詐害行為として、取消もしくは否認の対象となりうることは勿論であり、その際、主債務者の弁済資力の有無は、連帯保証人の債務支払の義務に何等影響するところがないのである。すなわち、連帯保証人の弁済資力の有無、延いては、その行為が詐害行為であるか否かを判定する上において、主債務者の弁済資力の有無は、これを斟酌すべきものではないと解するを相当とする。そうすれば、主債務者たる揖斐川木工が控訴人主張のような資産を有し、十六銀行その他に対する債務を弁済するに充分な資力を有していたとしても、連帯保証人たる成瀬正一の弁済資力、延いては、同人の本件家屋贈与行為が詐害行為であるか否かを判定する上において、これを斟酌すべきでないとしなければならない。このことは、同人が揖斐川木工の取締役社長であつて、同会社が実質上同人の個人企業に等しいものであつても、両者は、各別の人格を有するものであることに変りがなく、同会社の資産は、当然に成瀬正一の債務の引当とはならないのであり、又、十六銀行その他の債権者が揖斐川木工と成瀬正一の両者の資産より弁済を受ける意思であり、成瀬正一もまた両者の資産より債務を弁済する意思であつたとしても、そのこと自体は当然のことであるから、これによつて結論を異にするものではない。従つて、控訴人の前記主張は、揖斐川木工の本件贈与当時における弁済資力につき判断するまでもなく、失当としなければならないから、これを採用するに由ない。

更に、控訴人は、成瀬正一から本件家屋の贈与を受けた当時、これによつて債権者を害すべきことを知らなかつた旨主張するけれども、そのような事実を認めるに足る証拠がないのみでなく、却つて弁論の全趣旨によりすれば、本件家屋の贈与は、贈与者たる成瀬正一が一方において受贈者たる控訴人の法定代理人親権者として、控訴人との間に契約したものであることが窺われ、成瀬正一において当時詐害の意思を有していたとすべきことは、前段認定のとおりであるから、控訴人の右主張は、到底採用し得ないというべきである。

右のようなわけで、成瀬正一の控訴人に対する本件家屋の贈与行為は、同人が債権者を害することを知つてなした詐害行為とみるべきものと解せられる。そして、同人は、その後破産の宣告を受けたのであるから、その破産管財人たる被控訴人において、右贈与行為を破産者が破産債権者を害することを知つてなした行為として、否認しうるところであり、被控訴人の本件否認権行使の結果、右贈与行為は、否認せられたものとしなければならない。なお、破産法にいわゆる否認とは、破産者が破産宣告を受ける前に、その財産に関してなした破産債権者に損害を加える行為の効力を失わせるものであつて、否認権行使の効果は、民法にいわゆる詐害行為取消の効果と同様であると考えることができる。従つて、被控訴人の控訴人に対し、成瀬正一の控訴人に対する本件家屋贈与行為の取消及び右贈与による所有権移転登記の抹消登記手続を求める本訴請求は、正当としてこれを認容すべきものとする。

よつて、右と同趣旨に出でた原判決は、相当であつて、控訴人の本件控訴は、理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき、民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用して、主文のように判決する。

(裁判官 山口正夫 吉田彰 吉田誠吾)

物件目録(一)

(1)  岐阜県揖斐郡揖斐川町上南方字伊尾野千八百四十二番

家屋番号八十九番の二

一、木造瓦葺平屋建検査場  建坪十三坪二合五勺

附属 木造瓦葺平屋建山羊舎 建坪十八坪

木造瓦葺平屋建山羊舎    建坪四十六坪五合

(2)  同所千八百四十番の三

家屋番号八十九番の三

一、木造杉皮葺平屋建工場  建坪二十五坪五合

附属 木造杉皮葺平屋建工場 建坪二十四坪

(3)  同所千八百四十番の三

家屋番号八十九番の四

一、木造瓦葺平屋建工場   建坪二十坪

附属 木造瓦葺二階建納屋 建坪十九坪五合

外二階十一坪五合

木造瓦葺二階建事務所 建坪二十七坪五合

外二階十九坪五合

(4)  同所千八百四十番の三

家屋番号八十九番の五

一、木造杉皮葺平屋建納屋 建坪四十四坪二合五勺

附属 木造杉皮葺平屋建納屋 建坪七十二坪

木造杉皮葺平屋建納屋 建坪二十七坪

物件目録(二)

(1)  岐阜県揖斐郡春日村六合字野原三千三百八十番の六十

一、山林 九反八畝二十八歩

(2)  同県揖斐郡揖斐川町上南方字伊尾野千八百四十番の一

一、畑   三畝二十歩

(3)  同所千八百四十二番

一、畑   四畝十四歩

(4)  同町上南方字岩ケ洞千六番の一

一、田   二畝一歩

(5)  同所千六番の二

一、田   二歩

(6)  同所千七番

一、田   八歩

(7)  同町上南方字伊尾野千八百二十六番の二の一

一、田   三畝二十九歩

(8)  同所千八百二十六番の二の二

一、田   一畝一歩

(9)  同所千八百五十三番の一

一、山林  一反四畝十二歩

物件目録(三)〈省略〉

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